恩師からの手紙
大学時代の恩師から小包が届いた。開けて中を見ると、真新しい本が一冊。それに、恩師からの手紙も添えられている。「新しい本を書いたから献本します。年齢的にも、最後の出版物にするつもり。あなたの文章も掲載されているので、読んだらぜひ感想を送ってほしい」とのことだった。
献本された本は、恩師の授業実践[1]を取りまとめたものだった。学生がエッセイを書き、互いに批評しあうという作文の授業だ。ページを捲ると、なるほど、当時の学生たちが書いた作品がずらりと並ぶ。かれらの日常の出来事が、みずみずしい感性と筆致で表現されている。ふと目の前に、大学の講義室の様子、机の原稿用紙に向かって、静かにペンを走らせる受講生たちの姿が浮かんだ。
学生当時の私の文章もそこにあった。ページに並ぶ文を一目見て「これは『僕』の文章だ」とすぐにわかった。10年以上も前に「僕」が書いたエッセイからは、将来への漠とした不安が読み取れた。暗い出来事が続く日常の中にも、生きることの実感を見つけようともがく若者像も浮かぶ。そして、そのような自身のパーソナリティを俯瞰しながら、自分で考え、社会を風刺し、文章という形で表現しようとする勇気が垣間見えた。
当時の自分自身に対して、斜に構えた態度は今とあまり変わらないなと苦笑しつつ、同時に感心もした。文章を書いているな。文章で表現しているな。そして何よりも、文章を書く事を通じて、自分で考えることに一歩を踏み出しているな、と。翻って、今の私は書いているだろうか、表現しているだろうか、そして何よりも、自分で考えているだろうか、と省みた。10年以上ぶりに訪れた、学生時代の「僕」との邂逅は、今の私の「文章を書くこと」の意味や在り方を、改めて問い直す契機となった。
文章を書くということ
「文章を書くこと」をやめたわけではなかった。むしろ仕事柄、書いてきた文章の数はそれなりに多い[2]。だが、ここで問題にしたいのは、「わたしが書く」という行為に「自分の中を探る」という性質が伴っていたか、という点だ。かつて村上春樹は河合隼雄との対談で、「自分の中にどのようなメッセージあるのか探し出すために小説を書く[3]」と、自らの創作活動について語った。私自身は文筆を生業としているわけではないが、この説明は頷くところが多い。というのも、かつて学生時代の「僕」は、自らの内にどのような考えがあるのか、どのような意見があるのか、「自分の中を探る」ために、エッセイを書いていたからだ。文章を書くということはまさに、自らの腹を裂き、温かなはらわたを引きずり出し、その構造を検めて世界に晒すことで、他者と対話しようとする行為に他ならなかったのだ。
あらためて、今の私の「文章を書くということ」を振り返る。そうすると、「自分の中を探る」ということには、ずいぶん疎くなってしまったのだと気が付く。いま書いている文章は、ほとんどが仕事のためのもので、一言でいえば誰かを説得する文章だ。緻密に情報を集め、根拠を並べて組み立て、自らの意見を述べる。或いは、そのような文章が書けるように、目の前の生徒を指導していく。自分の中を探るためというよりは、自らの意見を他者に正確に伝えるために文章を書いている。これはこれで面白いし、何よりやりがいがある。かつて自分が拘った「文章を書くということ」を、生業としているからだ。
自分の中から生まれる言葉を求めて
一方で「自分の中を探る」という目的は、他者との日常的な関わり合いの中でも、ある程度果たせているのだろうと思う。仕事上付き合う人々も、そして人生を共に歩む人とも、あらゆる事柄を話せる間柄ではある。そのような人々と言葉を交わす中で、私自身が気付かなかった内なる自分を発見することも、日々起こる。だが、これだけでは足りないのだ。
モニタの明かりと煙草の火だけが灯る暗い部屋で、何度も推敲しながらキーボードを叩いていた夜。静けさの中、コリコリとペンの音だけが響く、学生時代の講義室。そこではいつも、自分が自分に問うていた。「お前は何がしたいのか。お前は何のために生きるのか。お前は何を語るのか」と。自らの内から湧いて出るその問いに、自ら応えようとする時間が、かつての「僕」には必要だった。孤独な自分と孤独に向き合い、自分の中を探っていく。そのような作業を通じて生まれた「僕」だからこそ、世界と正面から対峙し、他者と繋がることができていたのだ。未来の「私」を感じさせる文章が書けていたのだ。
いま私は、再び「文章を書くということ」を始め、自分の中を探ってみようと思う。自分の中から、自分の言葉を生み出したいのだ。自分の中から生まれた言葉を通じて、他者と繋がりたいと思うのだ。かつての「僕」のように。
[1] 恩師である深谷純一氏は元高校教員で、「カキナーレ」と称する自由創作エッセイの授業実績を買われ、大学で国語科教員志望者向けの演習を担当していた。ペンネームで学生がエッセイを書き、授業で公開し、他の学生から批評が行われるという趣旨の授業実践だった。当時4回生の私は教員志望ではなく、教職課程すら履修していなかったが、「なんか面白そう」と思い至り師の講義を履修。ペンネーム「4.5回生」(当時半期留年していたことに由来)の名でエッセイを書いていた。
[2] 学校図書館に勤めている私は、「探究学習」と分類される授業を担当している。生徒自らがテーマを選び、図書館を使って一年間の研究活動を行い、論文にまとめるという授業だ。教科書を用いずに、授業教材は自分で作る。常に生徒の論文を添削し、実践報告も書く。生徒が「書く」と同時に、自らも「書く」ことが求められる授業を実践している。
[3] 村上春樹・河合隼雄(1996)『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』岩波書店